こんにちは

一宮市の耳鼻科、楓みみはなのどクリニックです

院長の城めぐりをご紹介します

今回訪れた城は岐阜県大垣市にある大垣城です

1535年(天文4年) に宮川安定により築かれたといわれています

創建当初は水門川を外堀に利用した小規模なもので、本丸と二の丸のみの構成でした

大垣城は戦略上重要な地点であったため、織田氏、斎藤氏、織田氏と支配権が移り変わりました

賤ヶ岳の戦いの後、1583年(天正11年)に羽柴秀吉により池田恒興が15万石で城主とされました

以後は近世城郭としての整備が進み、 1596年(慶長元年)頃、伊藤祐盛が城主の時の改築で天守が築かれたといわれています

1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの際には、伊藤盛宗が西軍に属したため、石田三成ら西軍の主力部隊が入城して根拠地となったこともあります

江戸時代に入ってからは譜代家臣の居城として、石川氏、松平氏が城主を務め、さらに改修が進められ、現在のような4層4階の天守となり、総堀が完成しました

1635年(寛永12年)に戸田氏鉄が城主となり、明治に至るまで大垣藩戸田家の居城となりました

1936年(昭和11年)に天守等が国宝(旧国宝)に指定されましたが、1945年(昭和20年)7月29日の大垣空襲により天守や艮櫓などが焼失しました

その後、1959年(昭和34年)に天守が、1967年(昭和42年)に戌亥櫓が復元されました

2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(144番)に選定されました

 

旅行記を紹介します

自動車でクリニックより移動しました

近隣にある駐車場に自動車を止め、水門川を渡り、徒歩約5分(紅葉が綺麗でした☻)

戌亥櫓に着きました

そのまま徒歩で西門へ向かいます、途中の城郭全貌がやはり美しかったです

戸田氏鉄の像を拝し

西門より入場し、石段を登ります

そして、天守閣に入ります

4階建ての天守閣で、1~3階は展示室となっており、大垣の歴史や関ヶ原合戦の流れなどを学ぶことができます

戦国時代、実際に使用されていた兵器である火縄銃や槍、弓を実際に手に取って体験することができました

火縄銃は結構重かったです、これを持って戦をすることを思うと、当時の合戦の大変さが僅かですが、窺い知ることができました

さらに4階に進むと、展望室となっており、大垣の町が一望できます

西側は中央に伊吹山を望み、その手前に関ヶ原の地を確認でき、西軍石田三成の防衛ラインの拠点だったことが窺い知ることができました

東側は岐阜市方面を望むことができます

遠くには金華山に建つ「岐阜城」を確認できます、関ヶ原合戦の前、もともとは西軍方の城であった岐阜城

その後、東軍に占拠され、石田三成が想定していた防衛ラインを大垣城まで下げざるを得なかった苦渋、それ故に発生した関ケ原合戦の成り行きを感じることができました

 

11月下旬に訪問したため、かなり肌寒い日でしたが、近場である「大垣城」の歴史に触れることができました

大垣の町は江戸時代に東海道・宮宿と中山道・垂井宿とを結んだ脇往還(脇街道)の宿場町として発展しました

先月訪れた墨俣城がある墨俣宿の次の宿場町であり、朝鮮通信使の一行が宿をとっていたそうです

今回は大垣城を訪れることにより、水都大垣の歴史や関ケ原合戦の知見を深めることができ、有意義な城めぐりでした

ちなみに、大垣駅前にある「水都の泉」です

季節柄、夜はイルミネーションが点灯するみたいです