こんにちは
一宮市の耳鼻科、楓みみはなのどクリニックです
院長の城めぐりをご紹介します
今回訪れた城は宮崎県日南市にある飫肥城です
酒谷川北岸のシラス台地の地形を利用して曲輪をいくつも並べた群郭式の平山城です
飫肥の地は、酒谷川河口の油津と河川舟運で結ばれた要地であり、江戸時代には良材として知られた飫肥杉を積み出しました
戦国時代には、日向国の伊東氏と薩摩国の島津氏の飫肥城争奪戦が100年以上の長きに渡って繰り広げられた地でもあります
元々は伊豆国伊東(静岡県伊東市)に所領を持つ工藤祐経が、源頼朝より与えられた所領の1つがこの日向国だったそうです
その子である祐時が姓を伊東と改姓し
6代伊東祐持のとき、足利尊氏より日向国都於郡(とのこおり)に所領を与えられ、伊東から都於郡に移住しました
伊東氏は代々都於郡城を居城にその勢力を拡大し、16代伊東三位入道義祐のとき、それまで島津氏の支配下にあった飫肥城を攻め取り、48支城を各地に配し、日向国南部を治めました
しかし、元亀年(1572年)木崎原の戦いで島津義弘に敗れ
天正5年(1577年)伊東領に侵攻した島津氏に敗れて国を失い豊後国に落ちました
その後、豊臣秀吉に仕えた義祐の子・祐兵が、天正15年(1587年)の九州平定で功績をあげ、飫肥城を与えられ、大名に返り咲きしました
以降280年余、飫肥藩(五万一千石)を伊東氏14代で治めました
旅行記を紹介します
セントレアより空路宮崎空港へ、その後レンタカーで飫肥城へ移動しました
大手門手前にある豫章館(よしょうかん)です
明治2年に造られた藩主伊東家の住まいで、敷地内に主屋や御数寄屋・雑舎・蔵があり、入口には薬医門を構えています
そして、大手門より城内に入ります
大手門横の空堀です
高松城の水堀もよかったですが、空堀は水がないが故の趣深さを感じます
さらに曲がりくねった道を進み、本丸へ向かいます
本丸は旧本丸と新本丸の2か所あり、新本丸は現在、地元の小学校の校舎とグランドで構成されています
ということで、旧本丸に向かいました
階段を登り進み、旧本丸に到着です
石垣の石積みに特徴があり、石を隙間なく組合せて積む切込接乱積み(飫肥積み)です
旧本丸には建物はなく、飫肥杉でいっぱいでした
ちなみに、飫肥の地は「小村寿太郎」の生地でもあります
飫肥城近くにある、小村記念館にも訪れました
小村寿太郎は飫肥藩の武士の家の出、苦労して学業を積み、大学南校(東京開成学校 現・東京大学)に進み、外交官となりました
その後、アメリカのハーバード大学法学部に留学したこともある英語通でもあります
1906(明治39)年、日露戦争のポーツマス講和会議に講和首席全権として参加し、日露講和条約を締結させました
1908(明治41)年、桂第二次内閣の外務大臣となり、幕末に結んだ不平等条約の改正に乗り出し、関税自主権の回復、治外法権の撤廃を果たし
1911(明治44)年、日本は事実上の独立国家として認められるようになりました。
その年、『誠の一字』という手記を青少年向けに発表し、「私は人より特に優れたところがあろうとは思わない。もしあるとすれば、それはただ『誠』の一字に尽くされると思う」と書き記しました
当地の偉人の歴史に触れることができ、自分自身も生き方として学ぶことが多い城めぐりでした
ちなみに、飫肥のグルメといえば「おび天」
飫肥の郷土料理で、魚肉練り製品(揚げかまぼこ)です
おうどんと一緒にいただきました
おび天をうどんにのせて食べるとおススメですよ!!
そして、宮崎グルメといえば「チキン南蛮」
宮崎のチキン南蛮は全国のものとは違うそうです
一般的にチキン南蛮というと鶏もも肉の唐揚げ+タルタルソースという組み合わせですが
本場宮崎ではチキン南蛮に鶏のむね肉が使われています
宮崎を訪れた際は一度ご賞味ください!!