こんにちは

一宮市の耳鼻科、楓みみはなのどクリニックです

院長の城めぐりをご紹介します

今回訪れた城は香川県高松市にある高松城です

日本三大水城の1つであり、玉藻(たまも)公園内にあります

「玉藻」の呼び名は、万葉集で柿本人麻呂が讃岐の国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことに因んで、このあたりの海が「玉藻の浦」と呼ばれていたことによるといわれています

天正15年(1587)、豊臣秀吉により讃岐国12万6千200石を与えられた美濃国可児郡土田(現在の岐阜県可児市土田)出身の生駒親正が築きました

このとき、「野原」の地名を「高松」と改めたそうです

その後、寛永17年(1640)の生駒騒動による転封までは生駒家が藩主として治め

寛永19年(1642)、東讃岐12万石を与えられた松平頼重が城内の改修を行い

寛文10年(1670)、天守の改築は完成しました

翌年からは東ノ丸、北ノ丸を新造し

2代藩主頼常は月見櫓や艮櫓(うしとらやぐら)などを建て、大手を南側から南東側に移動し、三ノ丸に御殿を建てました

その後、明治維新まで松平氏が藩主を務めました

昭和30年(1955)、国史跡に指定されています

 

旅行記を紹介します

 

まずは電車を乗り継ぎ、高松からはレンタカーで移動し高松城に到着しました

大手門近くにある艮櫓です

そして平らな道を歩くこと5分程度

途中で桜御門跡を通過し(成人の日でした)

披雲閣(ひうんかく)に到着しました

披雲閣は、江戸時代に藩主が生活する場所としてあった御殿でした

現在の披雲閣は、老朽化のために取り壊された旧披雲閣を高松松平家の12代当主賴寿伯爵が大正6年(1917)に再建させたものです

和洋折衷の見事な近世建築でした

建物内では、書道展が開かれていました

蘇る高松城の天守閣を見ることができました

「大願成就」ではなく「鯛願成就」に気づきましたか?

高松城のお濠は、水門で瀬戸内海とつながっていて海水100%、干満に連動して水位が変化するそうです

従って、お濠にも真鯛が放流されており、エサやり体験ができます

エサを与えることにより、鯛の願いを叶えた人の願いも叶うという寓話にあやかっているそうです

高松城を訪れた際は、ぜひエサやりをしてみてください

そして、天守閣に向かいます(天守閣は現存していないので、正確には天守台です)

途中、天守閣の高さに到達した松ぼっくりツリーを通過し

本丸と二の丸を結ぶ「鞘橋(さやばし)」を渡り

再建された天守台に到着です

サンポートに位置する、四国で最も高い151.3mの超高層ビル「高松シンボルタワー」と「JRホテルクレメント高松」と天守台のコラボレーションは見ものでした

城のお堀から瀬戸内海がとても近いです!!

さすが日本三大水城!!

目の前にフェリーが接近してきます

江戸時代はもっと海と近かったんだとイメージすると、感慨深いです

その後、源平合戦で有名な屋島に行きました

山上ドライブウェイを登り、山上から屋島を見下ろしました

この地に、安徳天皇を擁した平家軍が内裏を築き、源氏と戦に臨んだとのことです

今回は戦国、江戸時代だけでなく、源平合戦の時代まで学ぶことができ、良い経験ができました