こんにちは

一宮市の耳鼻科、楓みみはなのどクリニックです

院長の城めぐりをご紹介します

今回訪れた城は大分県中津市にある中津城です(大分シリーズ第3弾)

周防灘に臨む中津川河口の地に築城された梯郭式の平城であり、堀には海水が引き込まれているため、水城(海城)ともされ、今治城や高松城と並ぶ日本三大水城の1つに数えられています

1587年(天正15年)、九州を支配下に置いた豊臣秀吉が、豊前6郡16万石で黒田孝高(如水)を入封させました

1588年(天正16年)、黒田孝高は丸山城を修補し中津城として築城を始めました

1600年(慶長5年)、細川忠興が中津32万石で入封し、息子の忠利を中津城に入れ、忠利が1620年まで中津城の増改築を行いました

1615年(元和元年)、「一国一城令」により、豊前国では小倉城以外の城は破却の危機に瀕しましたが、忠興の幕府への働きかけで例外的に中津城は残ることができました

隠居後の忠興は中津城に入り、さらに城を修復し、本丸、二の丸、三の丸と八門、二十二の櫓が設けられ、現在の形がほぼ整いました

1632年(寛永9年)、小笠原長次が中津8万石で入封し、城下町の整備をほぼ完成させました

1717年(享保2年)、奥平昌成が中津10万石で入封し、1863年(文久3年)、城内に「松の御殿」を築きました

奥平家は三河山間部(愛知県新城市)の小豪族でしたが、長篠設楽原の戦いで、奥平家第二代の貞昌公が大活躍し、織田信長から最高武勲と讃えられ、大名へと躍進を始めました

その際、信長公から「信」の一字を与えられ、名を「信昌」と改めたそうです

奥平家は関ヶ原の戦い以降、美濃国加納(岐阜県岐阜市)10万石を領したこともあります

以後1871年(明治4年)の廃藩置県による廃城まで、奥平氏が藩主を務めました

以後、多くの堀は埋められ、本丸跡と三の丸跡の境の石垣は一部取り崩されました

1877年(明治10年)、西南の役により蜂起した中津隊の襲撃に遭い、「松の御殿」は焼失しました

1964年(昭和39年)、現在の模擬天守閣が建設されました

2017年(平成29年)、続日本100名城(191番)に選定されました

私は100名城めぐりも趣味ですので、到着後早速スタンプをゲットしました

 

旅行記を紹介します

陸路大分駅に着き、以後は自動車で移動しました

水堀に石垣と天守閣、やっぱり「これぞ城!!」っていう風格ですね

黒い天守閣なので、松本城(長野県松本市)を彷彿とさせます

奥平神社の鳥居をくぐると

程なく、天守閣に到着しました、やはり平城なので移動は楽でした

最上階からは中津城下が一望できます(南側)

南側は中津神社の敷地となっており、その途中に龍を彷彿とさせる松の木にお目にかかりました、今年は辰年ですので縁起物に出会うことができ、幸せを頂きました

さらに、進むと椎木門跡があります

この画像の左側石垣は扇形になっていたそうです(画像はありません)

本丸北側には石垣にy字状に目地が通る場所があります、これは画像右側が黒田時代の石垣で、その上に積まれている左側が細川時代の石垣です

黒田時代の石垣は四角く加工された石が、細川時代の石垣は丸みを帯びた自然石が多く使われているのが特徴です

何故こんなことになったかというと、黒田時代の築城当初は近くにあった唐原古代山城から四角く加工された神籠石を持ち出し石垣として右側の川沿いに積み上げたためだそうです

右に中津川があり、そのすぐそばに天守閣が築かれており、水城と呼ばれる由縁でもあります

 

 

ついで、玖珠郡玖珠町にある角牟礼城にも行ってきました

角牟礼城も佐伯城と同じく山城のため、時間の関係で麓にある資料館を見学してきました

1594年(文禄3年)から1600年(慶長5年)にかけて、日田の毛利高政が玖珠の拠点として角牟礼城を整備しました

その後毛利高政は佐伯藩に転封し、1601年(慶長6年)に来島長親が入封し森藩が立藩されましたが、来島氏が城主の格式を有さなかったため角牟礼城は廃城とされ、山麓に陣屋が置かれました

2017年(平成29年)、続日本100名城(192番)に選定されました

佐伯城のページでも書きましたが、毛利高政は永禄2年(1559年)、尾張国苅安賀(愛知県一宮市苅安賀)で森高次(九郎左衛門)の次男として生まれました(なんと地元一宮市出身でした!!)

高政は毛利輝元に気に入られて、毛利氏が秀吉の臣下となったのち、輝元より改姓の申し出があり、秀吉の許しを得て、高政の一族は「森氏」から「毛利氏」を名乗るようになりました

 

そして、大分と言えば、別府温泉♨

日帰り温泉に入ってきました、独特の硫黄の匂いがする温泉でした、温泉水は飲水することもできました

今回の城めぐりは、地元愛知県や岐阜県にゆかりのある武将のお城が多く、地元と大分のつながりを知ることができ、大変有意義な旅でした!!