こんにちは
一宮市の耳鼻科、楓みみはなのどクリニックです
院長の城めぐりをご紹介します
今回訪れた城は大分県大分市にある大分府内城です(大分シリーズ第2弾)
大分市街の中心に位置する梯郭式平城です、築城時は海辺に面しており、白土の塀と、まるで水上に浮かぶその姿から、「白雉(はくち)城」とも呼ばれています
慶長2年(1597年)、豊後府内に12万石で入封した福原直高が府内の「荷落」に築城を始めました
当時の海岸線は現在より内陸に入り込んでおり、大友氏の時代にはこの地で船の荷役が行われていたため「荷落」と呼ばれていましたが、縁起を担ぎ地名を「荷揚」に改め、名を荷揚城としたといわれています
その後、福原氏は改易され、早川長政に引き継がれましたが、その早川氏も関ヶ原の戦いで西軍についたため改易となり
慶長5年(1600年)、美濃国から豊後府内3万5千石で入封した竹中重利が完成させました
竹中重利は、福原氏が築いた城の大改修を行い現在の規模とし、港や城下町を整備し、現在の大分市の発展の基礎を築いたそうです
1634年(寛永11年)、 重利の子・重義が長崎奉行時代の不正のため切腹となり2代で改易されたため、日根野吉明が2万石で入封しました
1656年(明暦2年)、 吉明が嗣子なく没し日根野氏は廃絶したため、臼杵藩主稲葉信通が城代となりました
1658年(万治元年)、 大分郡2万石を領する松平忠昭が高松陣屋より入封し、以後、明治維新まで大給松平氏が居城としました
1743年(寛保3年)、 大火により天守を含む大部分の建造物が焼失しましたが、天守は再建されませんでした
1872年(明治5年)、城内に大分県庁が設置され、その後の県庁の拡張工事のため、内堀の一部は埋め立てられました
1945年(昭和20年)、大分空襲により大手門、櫓3棟が焼失しました
1963年(昭和38年)、大分県の史跡に指定されました
1965年(昭和40年)、東丸着到櫓・二重櫓、西丸二重櫓、大手門が復元されました
1996年(平成8年)、西丸と山里曲輪を結ぶ廊下橋が復元されました
2006年(平成18年)、続日本100名城(94番)に選定されました
私は100名城めぐりも趣味ですので、到着後早速スタンプをゲットしました
旅行記を紹介します
陸路大分駅に着き、以後は徒歩で移動しました
街中にいきなりお堀と櫓(西之丸角櫓)が登場です
大手門より入城しました
大手門より入場すると、天守台の全景を見ることが出来ます
そして天守台に登りました
天守台の上は特に何もある訳ではなく、周囲の街中を見渡すことが出来ました(大手門方向)
現在は大分府内城址公園となっており、春は桜の名所として有名だそうです
石垣にて猫ちゃんに出会いました😻
中を通るとこんな感じです、最近再建されたので比較的きれいでした
外観はこんな感じです、廊下橋というと昨年訪れた高松城の廊下橋を思い出しました、とてもそっくりでした
そして、大分と言えば、「とり天」「りゅうきゅう」「豊後サバ握り」「かぼす平目握り」「くろめポン酢」が有名ですし、これを肴に大分麦焼酎やかぼす酎ハイが合いますよ!!
今回の城めぐりは、地元愛知県や岐阜県にゆかりのある武将のお城が多く、地元と大分のつながりを知ることができ、大変有意義な旅でした!!