こんにちは
一宮市の耳鼻科、楓みみはなのどクリニックです
院長の城めぐりをご紹介します
今回も愛媛のお城シリーズです
今回訪れた城は愛媛県松山市にある松山城です
松山市中心部の標高132mの勝山山頂に本丸、西南麓に二之丸と三之丸を構える平山城であり、別名金亀城、勝山城とも呼ばれています
縄張りの形式は連郭式、天守の構成は連立式、天守は創建当初は5重5階、1642年に改築され3重3階地下1階の層塔型天守です
1600年(慶長5年)伊予国正木城(松前)城主10万石の大名であった加藤嘉明が、関ヶ原の戦いでの戦功により20万石に加増され、居城を正木城から勝山に移した
1602年(慶長7年)加藤嘉明が平山城の築城に着手した、翌年にはこの地を「松山」と命名した
1627年(寛永4年)嘉明は、松山城の完成前に会津藩へ転封し、蒲生忠知(蒲生氏郷の孫)が、24万石で入封し、二之丸を完成させた
1634年(寛永11年)忠知が参勤交代の途中に死去し、伊予蒲生家が無嗣断絶となり、大洲藩主加藤泰興が松山城を預かった(松山城在番)
1635年(寛永12年)松平定行が15万石で入封し、以後明治維新まで松平家14代の居城として存続しました
1642年(寛永19年)定行が創建当初5重であったという天守を、3重連立式天守に改築しました
1784年(天明4年)天守を含む本壇の主な建物が落雷により焼失、幕府より復興許可は下りたものの、財政難で工事は難航し
1854年(安政元年)勝善が大天守などの本丸本壇を再建したので、全国の現存12天守の中では最も新しいです
1886年(明治19年)より1945年(昭和20年)の間、二之丸と三之丸は陸軍省の管轄となり、松山歩兵第22連隊の駐屯地が三之丸(堀之内)にありました
1923年(大正12年)本丸が旧藩主家の久松家へ払下となり、そのまま松山市に寄贈され、以降は松山市の所有となっています
明治維新後は失火や放火、戦災などにより櫓など一部が焼失しましたが、現存建築は21棟残り、1950年(昭和25年)重要文化財に指定されました
建造物の現存数21棟は京都市の二条城の28棟に次ぐものです
太平洋戦争後、本丸や二之丸、三之丸を含んだ松山城山公園として整備されました
1955年(昭和30年)ロープウェイが、1966年(昭和41年)には並行してリフトが整備され、松山市を代表する観光地となっています
2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(81番)に選定されました
私は100名城めぐりも趣味ですので、到着後早速スタンプをゲットしました
旅行記を紹介します
空路松山空港に移動し、空港からはレンタカーで移動しました
前日の宇和島城、河後森城、大洲城めぐりの後、松山市内に宿泊し、朝から松山城に向かいました
東雲口にあるロープウェイ・リフト乗り場より、行きはリフトに乗りました
ゴンドラに揺られてゆっくりと登城しました(約6分かかります)
長者ケ平で降車し、そこからは徒歩で穏やかな坂道を歩いて行くと、高石垣沿
いに太鼓櫓が見えてきます
さらに進み、戸無門を通り、筒井門を通過します
さらに進むと、本丸広場に着きます
院長はこのようなアングルの画像が好きです
早速天守内に進みます
一ノ門を通過し
筋鉄門を通過しさらに進むと、天守内に入ることができます
天守内は資料館となっており、歴代城主の甲冑や刀、古文書などが展示されており、城の歴史について学ぶことができます
これは加藤嘉明のものだそうです
古文書も見ることができます
お城の縄張りや天守の構成も展示されており、お城の全容がイメージしやすくなっています
現存天守らしく、急階段を上り進んで行きました
当時の天守内の雰囲気を感じることができます
鉄砲狭間などの防御設備を見ることもできます
3階からは、松山の市街地を望むことができます、天気が良く、素晴らしい見晴らしでした、さらに先には瀬戸内海と島々を望むことができました
帰りはロープウェイで下山しました
リフトと並走しており、リフトよりは速く約3分で下山できました
そして、松山といえば路面電車も有名です、伊予鉄道の電車が市内を巡っており、松山城や大街道、道後温泉などを巡ることができます
そのついでに、同じく松山市にある、日本100名城(80番)に指定されている湯築城(ゆづきじょう)にも行ってきました
松山城から車で5分ほど走ると、道後温泉近くにある湯築城に着きました
中世に築かれた平山城であり、近世城郭が持つ石垣や天守などはなく、地形を利用して作られました
1335年(建武2年)前後、伊予国の守護であった河野通盛の代に築城されたと言われています
以後中世の河野氏の居城として伊予国の政治・軍事・文化の中心を担いました
1585年(天正13年)羽柴秀吉の命を受けた小早川隆景らの軍が侵攻し、河野氏は降伏しました
1602年(慶長7年)松山城の築城が開始された際、建築にあたり湯築城の瓦等の建材が流用されたことが発掘調査により判明しています
江戸時代には伊予松山藩の管理下に置かれ、明治時代からは県立の都市公園や植物園などとして、昭和時代には動物園としても利用されていたそうです
1987年(昭和62年)愛媛県立道後動物園が閉鎖されると、翌年から湯築城跡の発掘調査が開始され、中世の平山城としての貴重な遺構が残存していたり、多種多様な遺物が発掘されることにより、文化財として評価されました
2001年(平成13年)武家屋敷や土塀が復元されました
2002年(平成14年)国の史跡に指定されました
2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(80番)に選定されました
西口(搦手)近くに駐車し、歩いて入城しました
西口より入城すると
湯築城資料館があり、湯築城の歴史を学ぶことができます
さらに内堀を渡り
穏やかな坂道を進んでいきます
その後やや急な坂に変わり、進んでいくと
城の一番高い部分にある展望台に着きます
展望台からは松山の市街地を望むことができ、遠くには松山城の天守を見ることもできました(黄色〇)
北側には道後温泉の町並みを見ることができます
そして愛媛グルメといえば、じゃこ天と鯛めしですね
愛媛の鯛めしは主に2種類あるそうで、今治市(東予)や松山市(中予)の「鯛めし」は鯛を丸ごと一匹、土鍋や釜に入れて炊き込んだもので、宇和島市(南予)の「鯛めし」は鯛の刺身を特製のタレにつけ込み、薬味といっしょに混ぜたものをご飯の上にかけて食べるものです
これは宇和島鯛めしです
地酒やミカンハイボールの酒の友に頂きました
升にある愛媛の地酒「雪雀」と「石鎚」を頂きました、共においしかったです
今回の旅は、第1回に訪問した伊賀上野城を築いた藤堂高虎の築城の歴史を学んだり(次回も愛媛のお城シリーズです)、ハラハラした登城をしたり、地元愛媛の名物まで頂くことができ、有意義かつ大満足な城めぐりでした