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一宮市の耳鼻科、楓みみはなのどクリニックです

院長の城めぐりをご紹介します

今回訪れた城は韓国京畿道水原市にある、韓国の歴史的な要塞都市、水原華城(수원 화성;スウォンファソン)です

この城は、朝鮮王朝時代の18世紀末、正確には1794年から1796年にかけて建造され、1997年にはユネスコの世界遺産に登録されています。

水原華城の魅力

水原華城は、壮大な城壁とその周囲を取り囲む美しい自然が特徴です。城壁はおよそ5.7キロメートルにわたり、18世紀の朝鮮王朝における最も先進的な防御システムが取り入れられています。城内には、1794年に建造された華城行宮(ファソンヘングン)という宮殿があり、かつては正祖大王が滞在したこともあります。

歴史的背景とドラマ「イ・サン」

水原華城は、朝鮮王朝第22代国王、正祖大王(在位:1776年 – 1800年)が、父である荘献世子(サドセジャ)の遺骨を祀るために建てた都市です。正祖は、朝鮮王朝の中でも特に改革を進め、国家の近代化を図った王として知られています。この正祖大王の人生は、韓国の人気歴史ドラマ「イ・サン」の主人公であるイ・サンのモデルにもなっています。

「イ・サン」は、正祖大王の波乱に満ちた人生を描いたドラマで、王位継承の危機や宮廷内の陰謀、そして民衆を思う心など、正祖の人物像が繊細に描かれています。ドラマでは、正祖がどのようにして改革を推進し、父である荘献世子の名誉を回復するために尽力したかが物語の中心となっています。このドラマは、正祖が建設した水原華城や、彼の治世における都市計画の一端を垣間見ることができる貴重な作品です。

城の構造

城壁には四つの主要な門(華西門、華東門、華南門、華北門)があり、それぞれ1796年に完成しました。各門には異なる構造と装飾が施され、特に正祖大王の治世にふさわしい威厳を感じさせます。城壁沿いには火薬庫や兵舎、砲台が設置され、攻防戦に備えた堅牢な設計がされています。特に、城壁にある銃眼は18世紀末の軍事技術を反映しており、当時の防御戦術の進歩を示しています。

水原の特産品とグルメ

水原を訪れた際には、地元の特産品やグルメも楽しんでいただきたいと思います。水原といえば、何と言っても「水原カルビ(スウォンカルビ)」が有名です。これは、肉厚でジューシーな牛カルビを甘辛いタレで味付けし、炭火で焼き上げる料理です。その香ばしい香りと柔らかい肉質は、一度食べたら忘れられない美味しさです。多くの地元のレストランでは、この伝統的なカルビを提供しており、水原華城を巡った後の食事に最適です。

さらに、最近では「水原チキン(スウォンチキン)」も大変人気があります。水原は韓国国内でも「チキンの聖地」として知られており、さまざまなスタイルのフライドチキンが楽しめます。特に、カリッと揚げられたチキンに甘辛いソースを絡めた「ヤンニョムチキン」は、ビールとの相性が抜群です。また、水原には独自のスパイスやレシピを持つチキン専門店が多数あり、それぞれの店で異なる味を楽しむことができます。水原華城を巡った後、地元のチキンを食べ比べるのも、旅の楽しみ方の一つです。

また、水原は「盤浦の餅(バンポトク)」も名物として知られています。餅の種類が豊富で、特にもちもちした食感が特徴です。お土産としても喜ばれる一品ですので、ぜひ立ち寄ってみてください。

観光情報

現在、水原華城は観光地として多くの人々に親しまれています。城壁を歩いて巡ることができ、特に夜にはライトアップされ、幻想的な雰囲気を楽しむことができます。また、華城行宮では、伝統的な朝鮮の礼儀や文化を体験できるイベントが定期的に開催されており、韓国の歴史と文化に触れる貴重な機会となるでしょう。ドラマ「イ・サン」に触発された方々にとって、この城はその歴史をより深く感じられる場所となることでしょう。

旅行記を紹介します

ソウルより、車で移動しました

城壁都市である華城の4大門の1つで、正門にあたる「長安門」に着きました

長安という名前は、中国の「唐」の首都長安に由来し、首都を象徴し、民の安寧を意味するそうです

門の内部にある石壁には朝鮮戦争の際の砲弾の痕が残っていました

その後は徒歩で城壁沿いを歩き、北東敵台に着きました

敵台とは、敵からの攻撃を防ぐため、城門の左右にある雉城の上に設けた防御施設のことで、砲台のレプリカが置いてありました

ちなみに、「雉」とは一定の距離を置いて、外側に突出するような形で造られた施設のことで、城壁に近づく敵を攻撃し、敵の攻撃から城壁を守るためのものです

さらに城壁沿いを歩いて進むと、水原川にかかる北水門に着きました

華城にあり、虹のようなアーチ型の門を特徴とすることから、通称「華虹門」と呼ばれています

壮快な水しぶきが水門から溢れ出る様子が美しいことで広く知られています

さらに城壁沿いを歩いて進むと、北暗門に着きました

暗門は城郭の奥まった場所に、敵の目に付かないよう造られた出入口で、人や家畜が出入りし、軍需品を調達するために設けられました

さらに城壁沿いを歩いて進むと、東北角楼に着きました

別名「訪花随柳亭」と呼ばれており、周辺の様子を監視し、軍事指令を出す司令塔としての機能と、周辺の自然環境と調和を成した東屋としての機能を兼ね備えています

さらに歩いて進むと、東北弩台のある広場に着きました、広場には世界遺産を示す石碑がありました

弩台とは、城の中央から多連発式の射撃用武器である弩を射るため、比較的高い位置に設けられた軍事施設です

そのためか、弓矢体験ができる施設がありました

さらに広場には4大門の1つである、蒼龍門がありました

蒼龍は風水上の左青龍を指し、東側を意味します。城門を保護するため、半円型の甕城が建てられていますが、長安門や八達門とは異なり、片方が開いた状態となっているのが特徴です

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門の天井は龍の装飾が見事でした

次に車で移動し、華城行宮に着きました

行宮は王が地方で行動する際に臨時に留まったり、戦乱、休養、陵園参拝などのために地方に別途の宮殿を用意して一時的に居住した所をいい、華城行宮は陵園参拝目的に築かれました

正祖が父である思悼世子の墓所を顯隆園に移葬して水原新都市を建設し城郭も築造しました

詳細は歴史ドラマ「イ・サン」を観るとわかりやすいので、是非観てみてください

正祖の父である思悼世子(皇太子のこと)は、王位継承者でありながら政争に巻き込まれ、父である英祖(正祖の祖父)との対立が深刻化したため、米びつに閉じ込められて非業の最期を遂げたことで知られています

これが米びつのレプリカだそうです、かなり狭いなという印象です

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今回は日本の城と異なる、韓国の城を訪問しました

日本と韓国の城の構造の違い、文化の違いに触れることができ、歴史好きの私にとってはとても有意義な城めぐりでした

韓国を訪れる際は、ぜひ水原華城を訪れて、その壮大な歴史と美しい風景、そして美味しい地元のグルメを楽しんでみてください