こんにちは
一宮市の耳鼻科、楓みみはなのどクリニックです
院長の城めぐりをご紹介します
今回訪れた城は山口県岩国市にある岩国城です
1608年 (慶長13年) 、初代岩国藩主の吉川広家が、錦川に囲まれた天然の要害の地である横山の山頂に築城しました
山上の城だけでなく、その南麓に御土居(おどい)と呼ばれる領主の居館を構え、その両方を合わせて岩国城を構成しました
吉川広家は中国地方の有力大名となった毛利元就の孫にあたり、三本の矢で有名な毛利両川の1つ吉川家の当主です(もう1つは小早川家)
吉川広家は関ヶ原の戦いの際、主家の毛利輝元と共に西軍につきますが、戦況を冷静に判断し毛利家の領国を存続させるために、東軍の徳川家康とも密約を結び中立の立場をとり、軍を動かしませんでした
さらに、同じ毛利家一族である小早川秀秋の東軍への寝返りもあり、西軍は敗退し徳川の世となっていきます
戦後、毛利家を守ろうとした吉川広家の思いもむなしく、毛利家112万石の領国の保証は反故にされ、周防・長門2ヶ国の29万8千石に減封されました
1600年(慶長5年)、吉川広家は毛利家の領地内で、岩国3万石の地を分知されました
ちなみに、毛利輝元は防長両国における東西の守りとして、周防国に岩国城(吉川広家)、長門国に櫛崎城(毛利秀元)を分知しました
岩国の地は安芸国と接しており、安芸国の領主となった福島正則と協力して忠勤に励むようにとの徳川家康の思いだけでなく、安芸国との国境に位置する岩国は防長両国を治める毛利家にとっても領地を守る要であり、先頭に立って守って欲しいとの毛利輝元の思いも垣間見られ、徳川家康だけでなく毛利輝元にも厚い信頼を得ていたのだと推察されます
しかし幕府の一国一城令により、築城より僅か7年後の1615年 (元和元年) には取り壊しとなり、政務は山麓の居館で行われました
当初、吉川広家は周防国には岩国城以外に城がないため、壊す必要はないのではないかと主張しますが、長門国では本城である萩城を残すために長府にある毛利秀元の城を壊すことになったため、岩国城も最終的に壊すことになりました
また、島原の乱において壊された城跡が再利用されたことから、幕府は石垣についても破壊を命じました
しかし、吉川家は石垣の破壊についても消極的で、麓の御土居がある東側の石垣が安全上残されたのを始め、壊されていない箇所が多くみられます
その後、麓の御土居は岩国領の陣屋として、また慶応4年の立藩後はその陣屋として、明治維新まで存続しました
岩国藩は明治維新の年、1868年(慶応4年)にようやく独立の藩として認められ諸侯に列しましたが、1871年(明治4年)には廃藩置県によって廃藩とされたため、正式に独立した藩の藩庁として機能した時期はわずかでした
1962年 (昭和37年) 、天守が復興再建されました
復興天守は四重六階の桃山風南蛮造です、南蛮造(唐造)とは最上階をその下階より大きく造り、その間の屋根を省略した様式です
天守は建築の際、錦帯橋からよく見えるよう、旧本丸の約50m南側に位置を変えています
天守内には刀剣や武具甲冑類が展示されています
1995年(平成7年)、本来の天守台の位置にあった天守台の石垣が発掘復元されました
2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(74番)に選定されました
私は100名城めぐりも趣味ですので、到着後早速スタンプをゲットしました
旅行記を紹介します
電車とバスを乗り継ぎ、錦川にかかる錦帯橋に着きました
麓にある錦帯橋の入り口から山上の岩国城を望めます(〇の部分)あいにくの曇り空で、見えにくかったです
錦帯橋を渡りました、雨で濡れており、おそるおそる渡りました
対岸に渡ると、旧岩国藩主吉川家の居館跡を整備した吉香公園内を歩いて、ロープウェイ乗り場に向かいます
日曜日でしたが、雨のため観光客はかなり少なかったです
錦帯橋のかかる錦川では「鵜飼い」を見ることもできるそうで、公園内に鵜が飼育されていました
更に進むと、「錦雲閣」 (きんうんかく)を望むことができます、これは1885年 (明治18年) に吉川家の居館跡が公園として開放された際、旧藩時代の矢倉に似せて造られた絵馬堂です、雨模様でしたが緑が映えてきれいでした
そして、ロープウェイに乗り約3分、山頂駅に到着しました
山頂駅から復元天守までは徒歩で約8分かかるそうで、右の山道と左の広い道の2つのルートがあります、とりあえず風情を味わうため、山道を選びました
山道はこんな感じです、雨も降っていたせいか足元がかなり悪く、歩きづらかったです
そうすると、中間地点辺りに広い道と繋がっている場所があり
後半は広い道を歩きました、舗装されていて、とても歩きやすかったです
そして、復元された天守台の石垣がお目見えです
「岩国城」の表示と復興天守が映えます!!
院長は天守閣をこんなアングルで見るのが好きです(*^o^*)
復興天守の中は岩国城の歴史についての掲示や展示物がありました
刀剣の展示や
銃器の展示もありました
天守最上階よりの眺めです、岩国の町並みが一望できます、あいにくの雨模様で見えにくかったですが、錦帯橋や錦川、遠くは岩国錦帯橋空港を望むこともできるそうです
「山城」「清流沿い」「鵜飼い」「ロープウェイ」など3月に城めぐりした岐阜城と類似点が多くビックリしました!!
今回の旅は岩国城を通じて、毛利家と吉川家の歴史的な繋がりを知り、有意義な城めぐりでした
そして山口、岩国といえば”岩国寿司” ”瓦そば” ですね!!
今回は時間の都合で味わうことができませんでしたが、次回は是非味わってみたいです