こんにちは

一宮市の耳鼻科、楓みみはなのどクリニックです

院長の城めぐりをご紹介します

今回訪れた城は愛媛県宇和島市にある宇和島城です

梯郭式平山城ですが、築城当時は2辺を海に、3辺を海水を引き入れた堀からな五角形の水城だったそうです

1595年(文禄4年)、藤堂高虎が宇和郡7万石で入封し、当時の地名「板島」にある板島丸串城を居城としました

1601年(慶長6年)、藤堂高虎が板島丸串城を修築して当時の天守を築城しました、その当時は現在の天守ではなく、安土桃山時代に特徴的な望楼型天守だったそうです

1608年(慶長13年)富田信高が宇和郡10万石で入封するも程なく改易され

1615年(慶長20年)、伊達政宗の長男秀宗が宇和郡10万石で入封します、この頃より「板島」の地名が「宇和島」と呼ばれるようになったそうです

1666年(寛文6年)、2代目宗利が改修し、現在の天守が築かれました、ただし改修といっても元の天守は全て撤去し、江戸時代に特徴的な層塔型天守を築いているため、ほぼ新造したものだそうです

その後、何度か地震に見舞われ、破損しますが修復され、天守は全国の現存12天守の1つになっております

以後明治維新まで伊達家9代の居城として存続しています

1900年(明治33年)より始まった宇和島港の改修工事により、堀が埋め立てられ、さらに三の丸の石垣や搦手門、黒門、櫓などが解体されました

1934年(昭和9年)、天守・追手門が国宝保存法に基づき、当時の国宝に指定されました

1945年(昭和20年)、宇和島空襲により追手門が焼失しました

1952年(昭和27年)、宇和島藩の家老であった桑折(こおり)氏の長屋門が北側登城口に移築されました

2006年(平成29年)4月6日、日本100名城(83番)に選定されました

私は100名城めぐりも趣味ですので、到着後早速スタンプをゲットしました

 

旅行記を紹介します

空路松山空港に移動し、空港からはレンタカーで移動しました

1時間程度で宇和島城に着きました

北側登城口に移築された桑折氏の長屋門から入城します

右手の看板で藤堂高虎が築いた天守(右側)と現在の天守(左側)を比較することができます

平山城ですので、登山道を進んでいきます

岩国城の時と同様、道が二手に別れていましたので、まずは左側の急な石段から登城し、下山するときは右側の穏やかな坂道を通りました

あいにくの雨模様のため、石階段は滑りそうでしたので、恐る恐るゆっくりと進みました

途中、井戸丸跡を通り、本丸に向かうと、本丸の石垣に着きました

左上半分の隅角部は「切込ハギ」、築石部は「打込ハギ」で、間詰石はあまり使われず、隙間なく組み合わせて積み上げられていたり、隅角部は長方形の石材を短辺と長辺が交互にしながら積み上げる「算木積み」が徹底されておらず、石垣技術の伝承が薄れた幕末頃に修理されたものだそうです

また、右下半分は自然石材を用いた「野面積み」で、17世紀初頭頃に築かれたものだそうです


更に進むと、櫛形門跡につきます、こちらの石垣は角が算木積みで築かれています

櫛形門跡の石階段を上ると、本丸広場の天守に着きました

院長はこのようなアングルの画像が好きです

城内1階には天守の模型や

鎧などが展示されていました

現存天守らしく、急階段を上り3階に向かいました

3階からは、宇和島の市街地を望むことができます

現在は海から少し離れていましたが、築城当初は海に面した海城でした

外堀などの外郭ラインが五角形となる縄張りは、幕府の隠密が江戸に送った密書では四角形と誤って記され、この史実から藤堂高虎が巧みに設計した縄張りとして、「空角の経始(あきかくのなわ)」の伝説が生まれたとされています

本来五角形なのに、四角形と思って攻撃したら、一辺が空角となり敵の攻撃を避けられるし、敵を攻撃する出撃口ともなり得ます、また物資搬入口ともなり、城から落ちのびる場合の抜け道にもなるという利点があります

帰りは穏やかな坂道を通り、下山しました

長門丸の長石垣を通過し

穏やかな坂道なので、雨でも滑る心配なく下山することができました

 

そのついでに、北宇和郡松野町にある続100名城(179番)に指定されている河後森城(かごもりじょう)にも行ってきました

宇和島市内から車で30分ほど走ると着きました

藤堂高虎はこの城の天守を宇和島に移築して板島丸串城(後の宇和島城)の月見櫓にしたそうです

完全なる山城なので、続100名城スタンプが置いてある西第十曲輪に向かいました

続100名城ですが、駐車場は私一人だけでした

雨の中一人で山道を歩くことになり不安になったため、今後行かれる方に向けて、スタンプまでの行き方をお伝えします

まずはこんな砂利道を進んでいきます

少し登りになる場所に着くと

スタンプ設置場所を示す看板がありますが、まだまだ進みます

登っている途中に右手に井戸があり、ここも通過し階段を上っていきます

右手にある井戸です

さらに階段を上っていくと、西第十曲輪を示す看板に着きます

西第十曲輪の門です

門を入った広場には掘立柱の建物が一つあり、この中にスタンプが置いてありましたので、早速スタンプをゲットしました

建物の中はこんな感じです、生活スペースと

馬小屋がありました

広場から見下ろした景色はこんな感じです

西第十曲輪の説明もありました

 

そして愛媛グルメといえば、じゃこ天と鯛めしですね

愛媛の鯛めしは主に2種類あるそうで、今治市(東予)や松山市(中予)の「鯛めし」は鯛を丸ごと一匹、土鍋や釜に入れて炊き込んだもので、宇和島市(南予)の「鯛めし」は鯛の刺身を特製のタレにつけ込み、薬味といっしょに混ぜたものをご飯の上にかけて食べるものです

これは宇和島鯛めしです

地酒やミカンハイボールの酒の友に頂きました

升にある愛媛の地酒「雪雀」と「石鎚」を頂きました、共においしかったです

今回の旅は、第1回に訪問した伊賀上野城を築いた藤堂高虎の築城の歴史を学んだり(次回以降も愛媛のお城シリーズです)、ハラハラした登城をしたり、地元愛媛の名物まで頂くことができ、有意義かつ大満足な城めぐりでした