2025/11/29
院長の城めぐり vol.36(肥前名護屋城、唐津城、佐賀城)
こんにちは
一宮市の耳鼻科、楓みみはなのどクリニックです

院長の城めぐりをご紹介します
今回訪れた城は佐賀県唐津市にある肥前名護屋城と唐津城、佐賀市にある佐賀城です
肥前名護屋城の縄張りの形式は梯郭式平山城、天守構造は望楼型5重7階ですが、現存していません
唐津城の縄張りの型式は連郭式平山城、天守構造はありません
佐賀城の縄張りの型式は輪郭梯郭複合式平城、天守構造は層塔型4重5階ですが、現存していません
🏯 肥前名護屋城の歴史と成り立ち
1. 城の概要と立地
肥前名護屋城は、豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の総指揮を執るために築いた巨大城郭。
佐賀県唐津市の玄界灘を望む丘陵地に位置し、全国の大名130以上が集結した「城郭都市」とも呼べる規模を誇ります。城跡は国の特別史跡に指定され、広大な石垣と陣跡が残ります。
2. 時系列で辿る肥前名護屋城の歴史
築城以前、この地にはもともと松浦党の旗頭・波多氏の一族である名護屋氏の居城、垣副城がありました。
1591年(天正19年)8月、豊臣秀吉は「唐入り」を翌年春に決行することを全国に告げ、肥前の名護屋に前線基地としての城築造を九州の大名に命じた。驚異的な速さで約8ヶ月で完成したそうです。『松浦古事記』によれば、20万5,570あまりの兵が朝鮮半島へ渡り、名護屋在陣は10万2415兵で、総計30万7,985兵で陣立てされました。
1592年(文禄元年)、総勢15万の諸大名が出陣、周囲には130以上の陣屋が立ち並ぶ人口約10万人の大軍事都市になりました。
朝鮮半島で戦線が膠着すると、翌文禄2年(1593年)4月に講和交渉が開始されましたが、交渉が破談すると秀吉は、再び慶長2年(1597年)2月から14万人を朝鮮半島へと上陸させました。
1598年(慶長3年)、秀吉の死により大陸侵攻が中止されたために城は廃城となりました。建物は寺沢広高によって唐津城に移築されたと伝わります。
1926年(大正15年)11月4日、「名護屋城跡並陣跡」として国の史跡に指定されました。
1955年(昭和30年)8月22日特別史跡に指定されました。
2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(87番)に選定されました。
3. 見どころ・散策ポイント
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本丸跡からの玄界灘の眺望:海を見下ろす絶景は必見。秀吉が「海外戦略」を描いた景色が眼前に広がります。
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広大な石垣群:野面積みの石垣が連なる様子は戦国末期の迫力そのもの。
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陣跡めぐり:加藤清正・黒田官兵衛・前田利家など、名だたる大名陣跡が点在。
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名護屋城博物館:発掘資料や当時の陣図が展示され、歴史的背景を深く学べます。
4. 散策のヒント
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公園内がとても広いため、歩きやすい靴がおすすめ。
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博物館で予習してから城跡を歩くと理解度が一気に深まる。
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海沿いなので季節によっては風が強い。
5. 振り返り・感想
この地に立つと、秀吉の「天下統一の先に見た世界」が実感されます。巨大な石垣の連なりと風の強さが、戦国の終焉を静かに物語っていました。
6. 基本情報
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所在地:佐賀県唐津市鎮西町
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区分:特別史跡
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駐車場:無料(複数あり)
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関連施設:名護屋城博物館
🏯 唐津城の歴史と成り立ち
1. 城の概要と立地
1602年、寺沢志摩守広高によって築かれた海城です。
唐津湾の海に突き出すような丘に築かれ、周囲の松原と湾の美しさから「舞鶴城」とも呼ばれる優美な城です。
2. 時系列で辿る唐津城の歴史
1595年(文禄4年)、秀吉の家臣・寺沢広高がこの地に封ぜられました。
1600年(慶長5年)、広高は関ヶ原の戦いでは東軍方につき、肥後国天草郡4万石を加増され12万3千石の外様大名となりました。
1602年(慶長7年)より本格的な築城を行い、1608年(慶長13年)に完成しました。
広高は土木事業に長けており、防風林として松原の保護育成を行い、これが日本三大松原として今日に残る虹の松原となっています。
広高の子の堅高は、天草領に構えていた富岡城が島原の乱の際に一揆側に攻められた際、その責任を取らされ天草領4万石を没収されました。堅高は、1647年(正保4年)に江戸藩邸で自殺し、また嗣子がなかったために寺沢家は断絶となりました。
以後、譜代大名5家が入れ替わりました。寺沢家断絶後は一時天領となりました。
⇒1649年(慶安2年)播磨国明石城より大久保忠職が移封
⇒1678年(延宝6年)下総国佐倉城より大給松平乗久が移封
⇒1691年(元禄4年)志摩国鳥羽城より土井利益が移封
⇒1762年(宝暦12年)三河国岡崎城より水野忠任が移封
⇒1817年(文化14年)陸奥国棚倉城より小笠原長昌が移封
以後明治維新まで小笠原氏の居城となりました。
1871年(明治4年)、廃城令により建物が解体されました。
1877年(明治10年)、舞鶴公園として整備、開放されました。
1966年(昭和41年)、文化観光施設として5層5階の模擬天守が築かれ、門・櫓も同時に再建されました。
1989年(平成元年)、唐津市役所前に肥後堀と石垣が復元されました。
1992年(平成4年)、二の丸跡に「時の太鼓」が復元されました。
1993年(平成5年)、市役所付近に三の丸辰巳櫓が復元されました。
2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(185番)に選定されました。
3. 見どころ・散策ポイント
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復元天守からの大パノラマ:虹の松原・唐津湾・市街を一望できる壮観。
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海城らしい石垣:清正流の石垣技術が見られる。
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春の桜・秋の紅葉・夜のライトアップ:季節ごとの美しさが際立つ。
4. 散策のヒント
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天守へは徒歩かエレベーター利用が可能。
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桜の時期は非常に混雑。午前中の訪問がおすすめ。
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城下町の唐津焼巡りとセットで歩くと満足度UP。
5. 基本情報
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所在地:佐賀県唐津市東城内
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構造:平山城(天守は復元)
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駐車場:天守下にあり
観覧料:大人500円(歴史資料館含む)
🏯 佐賀城の歴史と成り立ち
1. 城の概要と立地
江戸時代に鍋島直茂・勝茂父子が整備した平城です。堀と水路が多い構造から「沈み城」とも呼ばれ、日本初の反射炉を作るなど、近代化の先駆けとなった佐賀藩の中心地です。
2. 時系列で辿る佐賀城の歴史
鎌倉時代から戦国時代にかけて、肥前の戦国大名龍造寺氏によって築かれた村中城が起源となります。
1584年(天正12年)、龍造寺隆信が島津・有馬連合軍に敗れて戦死しことを機に龍造寺家臣の鍋島直茂が当地の実権を握りました。
1585年(天正13年)、直茂は村中城改修を計画したが、まだ村中城の当主であった龍造寺政家の居城であり、主家に憚って計画には手を付けなかった。
1602年(慶長7年)、江戸幕府に正当な佐賀藩主として認められたため、本丸の改修を開始しました。
1611年(慶長16年)、次の藩主鍋島勝茂が総普請をさせました。
佐賀城は何度も火災に見舞われ、1726年(享保11年)には大火により、天守以下本丸建造物の大半が焼失しました。
1728年(享保13年)、御殿などが二の丸に完成し、藩政は二の丸を中心に行われました。
1835年(天保6年)の火災では二の丸が焼失し、再び本丸再建が行われ政務は本丸に移りました。
佐賀城は明治維新を向かえるまで鍋島氏が治めました。
本丸御殿は、明治維新以後、裁判所や学校として利用されました。天守は享保の火災以後再建されていません。
1874年(明治7年)、江藤新平を中心とした佐賀の乱が起こり佐賀城はこの反乱軍に一時占拠されました。この際に鯱の門、鯱の門続櫓、本丸御殿以外の全ての建物を失いました。
鯱の門と続櫓は1953年(昭和28年)佐賀県重要文化財に指定され、1957年(昭和32年)には国の重要文化財に指定されました。
2004年(平成16年)本丸御殿が木造復元され、佐賀県立佐賀城本丸歴史館として開館しました。
2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(89番)に選定されました。
3. 見どころ・散策ポイント
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完全木造復元の本丸御殿:全国でも極めて珍しい巨大木造施設。圧巻のスケール。
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歴史館の展示:鍋島家資料・幕末の技術資料が充実。
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堀沿いの散策路:静かで美しい水景が楽しめる。
4. 散策のヒント
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歴史館は広いので時間に余裕を。
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夏場は堀周辺の虫が多め、虫よけスプレーがあると安心。
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駐車場が広くアクセスは良好。
5. 基本情報
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所在地:佐賀県佐賀市城内
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区分:平城
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観覧料:本丸歴史館は無料
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駐車場:県庁前駐車場など多数
🚶旅行記の紹介🚶
鉄路JR佐賀駅に向かい、そこからはレンタカーで移動しました
普段見ることのないJR九州の駅名標に趣を感じました
佐賀駅前には左から古賀穀堂公、鍋島直正公、鍋島茂義公の像などさまざまな佐賀出身の偉人の銅像を街中で見ることができます
詳しくは案内板を参照してください

佐賀駅よりレンタカーで移動して約1時間半で肥前名護屋城に着きました、周辺の交差点は画像のように武将の陣跡が名称になっています、当時は周囲には130以上に上る諸大名の陣屋が構築されていたそうで、その広大さを窺い知ることができます

そして早速入城しました、建物は残っておらず、石垣や土塁などの遺構を見ることができます

なだらかな坂道を登って行きます

三ノ丸を経て、本丸大手門跡から本丸に入ります

広大な本丸広場を海側に進むと、天守台跡に着きます

天守台跡からは玄界灘を望むことができ、ここから朝鮮半島に進軍して行った模様が想像できます(院長の妄想です・・・)

登城した後、近くにある名護屋城博物館を見学しました、 「日本列島と朝鮮半島との交流史」をテーマとした常設展示を中心に、文禄・慶長の役や名護屋城、朝鮮半島の文化、佐賀県・唐津・東松浦地域の歴史・文化などのテーマ展が随時開催されているそうです
秀吉が名護屋城に持ち込ませ、茶会や外国使節の歓待に使用した「黄金の茶室」が再現されて展示されていました、金ピカが天下人の力を示しています

朝鮮水軍の軍船である亀甲船(きっこうせん)が10分の1で復元されています、先頭の龍の口から火が噴いたそうです、日本軍は鉄砲中心でしたが、朝鮮軍は大陸の明(中国の王朝)の影響を受けて大砲が多く用いられていました、陸戦では鉄砲が有効ですが、海戦になると鉄砲はあまり役に立たず、大砲が主戦力となります、初戦は陸戦を展開して有利だった日本軍が、最後は朝鮮軍により海戦に持ち込まれ、大砲でかなりの損害を受けたそうです

日本軍の軍船である安宅船(あたけぶね)も10分の1で復元されています、当初は軍需物資や兵員を輸送し、兵站を維持するための輸送船でしたが、朝鮮水軍に対抗するために水上戦闘用の軍艦としても建造されたそうです、大きいものでは、九鬼嘉隆が建造した「鬼宿」が長さ百尺(約30m)、櫓百挺で、漕ぎ手と戦闘員をあわせて180名が乗り込むことができた巨船であり、秀吉の命名により「日本丸」と改名されたそうです

朝鮮水軍の大砲も復元されています、これを当てられたらかなりの破壊力であったことが窺われます

名護屋城博物館よりレンタカーで移動して約30分で唐津城に着きました、お城前の駐車場より撮影した天守閣が一番壮大さを示していました

長い石階段を登り入城します、11月の季節柄紅葉がきれいでした

天然記念物の「紫フジ」の藤棚を通り、大手門に向かいます

藤棚の側に石段があり、登って行くと

大手門に着きます、ここより本丸に入ります

大手門より左側を見ると、天守閣を望むことができます、院長はこのアングルから見た天守閣が大好きです!!
石垣の一番下から望む天守閣は本当に壮大さを感じさせてくれます!!

本丸広場から見た天守閣です、天守閣の中は郷土博物館になっており、唐津藩の資料や唐津焼などが展示され、唐津の歴史に触れることができます

天守閣の最上階は展望室となっており、唐津市街や唐津湾、虹の松原を望むことができます、
虹の松原は日本三大松原のひとつで、玄海国定公園の一部です、幅約500 m、長さ約4.5 km にわたって弧状に約100万本のクロマツの林が続いており、面積は約216 ha です
17世紀初頭、唐津藩主の寺沢広高が新田開発の一環として、もともとの自然林から防風林、防砂林として植樹を行いました、以後も代々の藩主の庇護の下、禁伐の掟(伐採は死罪)はもちろんのこと、燃料としての落葉の採取も厳しい制限が課せられており、現在もこの美しい景観が保たれています


唐津城よりレンタカーで移動して約1時間分で佐賀城に着きました
駐車場から移動すると、すぐに鍋島直正公の銅像が鎮座しています
鯱の門より入城します、この門は1838年(天保9年)当時の姿を残しており、佐賀の乱(佐賀戦争)の銃弾跡も残っています

入城すると24ポンドカノン砲の複製を見ることができます、直正は東京の築地に反射炉を築き、日本で最初の鉄製大砲を鋳造したそうです、品川台場にも50門の鉄製大砲を設置したそうです、この大砲は1820年頃アメリカで製造されて幕末に輸入され、かつては東京都渋谷区の旧鍋島邸に置かれていたものの複製品だそうです

さらに進むと、佐賀城本丸御殿の一部を復元した「佐賀城本丸歴史館」があります
館内では、佐賀城の復元や幕末維新期を先導した佐賀藩の科学技術、佐賀が輩出した偉人について分かりやすく紹介されています
初代藩主、鍋島勝茂が着用した鎧や

幕末に使用されたアメリカ製の銃などを見学することができます

ここは「外御書院(そとごしょいん)」という、一之間、ニ之間、三之間、四之間と廊下を合わせると320畳の大広間であり、この場所では、幕府からの贈答品やお世継ぎのお披露目など、佐賀藩の公式行事が行われていました、1838年(天保9年)の本丸完成披露のときには、約1000人の家臣が集まったそうです
ここでは、鍋島直正公と記念撮影をすることができます

🍽 グルメ編
🥩 佐賀牛
柔らかく濃厚な旨みを感じる日本トップクラスのブランド牛。
佐賀市・唐津市ともに専門店が多く、ステーキ・すき焼き・しゃぶしゃぶが絶品。
おすすめ:
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佐賀市 嘉すがい GARAGE 唐人店

🦑 呼子イカ(活き造り)
透明感のある甘いイカは、まさに唯一無二。
呼子朝市の「河太郎」や「いか本家」は、活き造り→天ぷらの“二度おいしい”楽しみが魅力。
佐賀牛も呼子イカも両方楽しみたい方にオススメ!!
駅近なので、帰りの特急待ちの間に頂くことができました!!
- 佐賀市 サガバー(SAGA BAR)

📝 まとめ
肥前名護屋城の戦国ロマン、唐津城の海景の美、佐賀城の幕末の息吹。三城それぞれが違う時代の魅力を持ち、城好きには最高の旅でした。さらに佐賀牛と呼子イカという美食が加わり、歴史と味覚を同時に楽しめる充実した城めぐりとなりました。



