こんにちは

一宮市の耳鼻科、楓みみはなのどクリニックです

院長の城めぐりをご紹介します

今回訪れた城は神奈川県横浜市にある小机城(こづくえ)です

縄張りの形式は連郭式平山城、天守構造はありません

1438年に勃発した永享の乱の際に関東管領上杉氏によって築城されたとされています

1478年(文明10年)長尾景春の乱に伴い起きた小机城の攻守戦では、乱を起こした長尾景春に味方する小机城を太田道灌が攻撃し落城させ、後に廃城となりました

その後、この地域が後北条氏の勢力下に入ると北条氏綱の手により修復され、家臣の笠原信為が城主として配置され、小机衆が組織されました

1590年(天正18年)豊臣秀吉による小田原征伐の際、抵抗することなく落城し、後に徳川家康の関東入府のときに2回目の廃城となり、以後は再建されておりません

現在は小机城址市民の森として整備されています

2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(125番)に選定されました

私は100名城めぐりも趣味ですので、到着後早速スタンプをゲットしました

 

旅行記を紹介します

電車と新幹線でJR小机駅に行き、そこからは徒歩で移動しました

線路沿いに進むと10分ほどで案内板があり、その向こう側に小机城を占める小山が見えています

住宅街を進み、根古屋(ねこや)広場より登城しました、根古屋は城代や家臣、家来らの屋敷があったそうです

城内は緑明るい竹林となっており、その中の整備された道を進んでいきます

空堀の遺構です、深さは12mあります、現在は枯れ葉などで埋まっていますが、当時は24m程度あり土だけでつるつるに固められており、外部から攻めにくいことが分かります

土塁の遺構です、高さ2m程あり、空堀と合わせると14m程度(4~5階建て)になります

櫓台跡です、ここに弓矢などの武器を収納していたそうです

二の丸広場(東郭)です、築城初期の主曲輪だったそうです

空堀の一番底に来ました、下から見るとかなりの高さであり、見ただけで攻めるのを諦めてしまいそうです

本丸広場(西曲輪)です、後北条氏の統治下では主曲輪に位置づけられ、ここを中心に格式ある空間が形成されていたそうです

本丸広場を虎口から出て馬出に通ずる土橋を渡ります、幅を狭くして「く」の字に曲げることで敵の直進を防ぐことができます

馬出です、後北条氏の特徴的な角馬出ですが、山中城の馬出と比べると、木々が繁殖していてはっきりはわかりませんでした

最後に小机駅近くにある横浜市城郷小机地区センターに行き、続100名城スタンプをゲットしました

今回の旅は、今年4月に訪問した後北条氏の山中城の復習にもなり、有意義かつ大満足な城めぐりでした

ちなみに訪れた日は雨上がりであり、竹林の地面は湿った笹の葉が敷き詰められた状態ですので、登城する際は足元が滑らないようにお気をつけください