こんにちは

一宮市の耳鼻科、楓みみはなのどクリニックです

院長の城めぐりをご紹介します

今回訪れた城は奈良県大和郡山市にある郡山城です

縄張りの形式は輪郭式平山城、天守の構成は独立式、天守閣はあったそうですが詳細は不明です

10世紀後半、郡山衆が雁陣の城を築いたという記録が郡山城の初めとされ、当時は盛り土と柵をめぐらした環濠集落のようなものでした

以後、郡山衆の城として続いていましたが、1559年(永禄2年)松永久秀の大和国侵攻に伴い、当時郡山城の城主であった郡山辰巳は松永久秀に属します

1580年(天正8年)筒井順慶が織田信長の援助を得て大和国守護となると郡山辰巳は殺され、家来衆はそのまま筒井順慶に組み込まれました

1581年(天正9年)明智光秀が普請目付になり大規模な近世城郭として工事が開始され、1583年(天正11年)に天守が完成しました

筒井順慶が亡くなると、1585年(天正13年)豊臣秀吉の異母弟の豊臣秀長が大和国・和泉国・紀伊国三か国100万石余の領主として郡山城に入封しました

秀長は城を100万石の居城に相応しい大規模なものに拡大し、城郭作りや城下町の整備を進めました

1591年(天正19年)秀長が没し、さらにその養子豊臣秀保も1595年(文禄4年)に死去したため、大和大納言家は断絶し100万石城の時代は終了し、増田長盛が22万3千石の領主として入封しましたが、関ヶ原の戦い後に長盛は高野山に追放され、郡山城の建築物のほとんどは徳川家康により伏見城や二条城に移築されたそうです

その後、筒井氏が再度入城しましたが、大阪冬の陣や夏の陣に伴う戦いで郡山城地や城下町は荒廃してしまい、筒井氏は滅亡しました

1615年(慶長20年)水野勝成が三河国刈谷から6万石で入封し、荒廃した城郭の修築を行いました

1620年(元和5年)勝成が備後福山に転封され、松平忠明が12万石で入封し、忠明も郡山城の復興に取り組み、二ノ丸屋形の造営をはじめ、以前伏見城に移されたかつての郡山城の鉄門、一庵丸門、桜門、西門などが再び郡山城に移築されました

1639年(寛永16年)忠明が播磨姫路に転封され、本多政勝が15万石で入封し、この時期に本丸、二の丸屋敷、城門、角櫓など城郭の主要部分が完成しました

その後本多氏⇒松平氏⇒本田氏と藩主が代わり、1723年(享保8年)に本多忠烈が8歳で死去したため、本多氏は御家断絶とされました

1724年(享保9年)柳澤吉里が甲斐甲府から15万石で入封し、さらに城下町の整備を進めました

以後、柳澤家6代が藩主を勤め、明治維新を迎えます

1873年(明治6年)多分に漏れず郡山城は破却され、この際に櫓・門・塀などの建築物は売却され移築されましたが、石垣や堀の多くは今も往時の姿を留めています、また城すぐ近くの永慶寺に城門が山門として移築され、現存しています

戦後になると、追手門や追手東隅櫓、多聞櫓、追手向櫓が順次復元され、天守台の修復と展望台も整備され、2021年(令和3年)には本丸と毘沙門曲輪に掛かっていた極楽橋が復元されました

2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(165番)に選定されました

私は100名城めぐりも趣味ですので、到着後早速スタンプをゲットしました

2022年(令和4年)国の史跡にも指定されました

旅行記を紹介します

電車と新幹線で近鉄郡山駅に行き、そこからは徒歩で移動しました


線路に沿い北に進むと10分ほどで本丸堀に沿って復元された追手向櫓が見えてきます

追手門より入城します

法印曲輪跡にある城址会館です、明治40年に奈良興福寺境内に奈良県立図書館として竣工された建物で、昭和45年にここに移築されました、現在は教育施設として活用されているそうです

さらに天守台方向に進むと、柳沢文庫があります、もともと柳澤伯爵家の郡山別邸として使われていました、現在は展示室や図書室として使われています


図書室は明治の趣を漂わせており、家具や調度品は当時のものがそのまま使用されているそうです

さらに天守台方向に進み、復元された極楽橋を渡ると、続100名城碑があります

天守台に行く途中には柳澤神社があります、祭神は五代将軍綱吉の側用人だった柳澤吉保(柳澤吉里父)であり、旧藩士等の手によって明治13年創建されたそうです

さらに進んでいくと天守台に着きます、天守は現存しておらず、最近の調査によると礎石が確認されたため、豊臣秀長時代あるいは増田長盛時代には天守が存在したそうです

天守台の上からは奈良盆地を一望することができ、遠くには修復工事中の東大寺大仏殿も見えました(

次に城外に出て、大納言塚にも行ってきました

その名の通り、大納言であった豊臣秀長のお墓です

また、大和郡山市は全国シェアの約60%を占めるほどの金魚の養殖地ですので、郡山金魚資料館にも行ってきました、見たこともない金魚がたくさんおり、大きさと美しさにビックリさせられました

今回の旅は、来年の大河の予習として豊臣秀長の居城を見ることができただけでなく、柳澤家の歴史を知ることができ、有意義かつ大満足な城めぐりでした