こんにちは
一宮市の耳鼻科、楓みみはなのどクリニックです
院長の城めぐりをご紹介します
今回訪れた城は韓国釜山広域市にある釜山倭城です
韓国では釜山子城台倭城(부산자성대왜성;プサンチャソンデウェソン)と呼ばれ、釜山鎮城公園となった丘陵に築かれています
釜山倭城は今回訪れた子城台倭城と標高125mの山に築かれていた母城(現在は甑山公園として整備)の一対で構成されているそうです
🏯【韓国・釜山の歴史探訪】釜山子城台倭城を歩く ~日朝の記憶をたどる旅~
🏯 釜山倭城の始まり
1490年、倭寇の防御と開港地である倭館の統制をするために、釜山浦に面する小高い丘に釜山浦鎮城が築かれたのが始まりとされています。
*「浦」は朝鮮王朝時代の港のことです
*「鎮」は朝鮮王朝の水軍基地のことです
1510年、対馬守護宗氏と恒居倭人(朝鮮居留日本人)による反乱(三浦倭乱)により釜山浦鎮城が日本人勢力により陥落すると、釜山鎮は多大浦に移鎮し、釜山浦には慶尚左水営が設置されました。
🏯釜山子城台倭城とは?
釜山子城台倭城は、1592年の文禄の役に際し、豊臣秀吉の命によって築かれた朝鮮半島の「倭城(왜성;ウェソン)」の一つです。倭城は、豊臣秀吉が朝鮮半島を侵略しようとして起こした「文禄・慶長の役」の際に、戦略の根拠地の確保、連絡の拠点、攻撃への防衛のために築造された城の総称で、釜山近隣にはこのような倭城の跡が全部で約30箇所あるそうです。
築城には毛利輝元および秀元が関与し、釜山に上陸した日本軍の本拠「釜山倭城(母城)」の北東、標高約30mの丘陵地に建設されました。
「子城台」とはその地名であり、この城は釜山鎮の本城を補完・防衛する支城(子城)としての機能を持っていました。
現在は埋立により海岸線が後退し、平地の中の丘の城のように見えますが、往時は丘麓まで波打ち際が迫り、残る三方に海水を引き入れた惣構が巡っていました。
🏯 城の型式と構造
この倭城は、山の地形を活かした平山城であり、日本本土の築城技術が反映された貴重な海外城郭です。
郭(くるわ)、虎口(こぐち)、登り石垣などの構造が現存し、特に西側の石垣の保存状態が良好です。
- 石垣に用いられているのは、粗加工の花崗岩ブロック
- 登り石垣が複数の段に組まれており、防御力の高さが見られます
- 敵の侵入を防ぐための「曲輪」の層構造が確認できます
⏳ 豊臣秀吉の死後、城はどうなった?
1598年、豊臣秀吉が死去し、日本軍は朝鮮半島からの撤退命令を受け、釜山子城台倭城も放棄されました。
しかし、その堅牢な構造から、朝鮮王朝によって防衛施設として再活用され、朝鮮水軍の拠点である釜山鎮が移築されました。ここはやがて外交の舞台へと姿を変えることになります。
現在は「釜山鎮城公園」として整備され、近隣には朝鮮通信使歴史館があり、日韓の歴史交流の痕跡をたどることができます。
🏯 院長の旅行記
空路、韓国釜山金海国際空港に着いた後、タクシーで宿泊先の西面に移動しました。西面(서면;ソミョン)駅から地下鉄を利用します。韓国の地下鉄駅はこのように完全なホームドアの駅が大半です。
釜山子城台倭城は西面駅より地下鉄1号線釜山駅方面の電車に乗り2駅目の凡一(범일
;ポミル)駅で下車し、2番出口より南進します。
2番出口より徒歩5分程で到着します。進行方向右手の釜山鎮市場が目印です。
釜山鎮市場を右手に見て左側の路地に入るとすぐに西門に着きます。西門は朝鮮式城郭門が再建されていました。
案内板によると、丘全体が城となっており、当時の本丸と二の丸が構成されています。
西門をくぐり入城しました。
階段を上り進んで行きます。始めは急階段で、二の丸の位置になると平地になります。
この丘全体が公園となっており、二の丸の敷地にはこのような運動器具も設置されており、地元の方がジョギングや運動をされておられました。韓国の公園には運動器具が豊富に設置されているのが特徴的で、国民の健康意識の高さがうかがわれます。次になだらかな階段を進んで行きます。入り口(虎口)は当時の石垣が残されておりました。この石垣が日本式となっており、当時ここまで日本軍が来たことが分かります。
入り口を入ると本丸だった平地になります。ここも公園になっており、運動器具が設置されておりました。画像の建物は東門、西門、将台である「鎮南台」があり、1974年に再建されたものだそうです。また、高麗時代の英雄的将軍「崔瑩(チェヨン)将軍」の祠堂、「文禄・慶長の役」に参戦した明国の「千萬里」の記念碑などもあります。
次に東側から降りていきます。ここも日本式の石垣が残っており、入り口(虎口)の形を成しています。
さらに下って行った所から見上げて撮影した「鎮南台」です。日本式の石垣の上に朝鮮式の建物があるというアンバランスな構成ですが、実際見ると意外と合っていました。
さらに下って行くと、永嘉台に着きました。これも再建されたものです。ここは朝鮮通信使が日本へ航海する際に無事を祈る海神祭を行った場所であり、ここから通信使が出航、帰還した場所だそうです。
側には永嘉台と朝鮮通信使の関係を知ることができる案内板があります。
永嘉台から隣の歩道に出ると、隣に朝鮮通信使資料館があります。ちなみにここは入場無料です。画像では閉まっているように見えますが、近づいてみると自動ドアとなっており、ボタンを押すとドアが開きました。
風除室で朝鮮通信使の船がお出迎えしてくれます。
館内は朝鮮通信使の行路を示す地図や当時の絵画、書画などを見ることができ、日本と韓国(朝鮮)の長きに渡る友好の歴史を知ることができます。
別の部屋はシアターとなっており、10分程度で朝鮮通信使と日韓友好の歴史について知ることができます。
🍲 歴史探訪の後は釜山グルメを堪能
낙지볶음(ナクチポックム)
煮込む前
煮込んだ後
낙지(ナクチ)=手長タコ、볶음(ポックム)=炒めること、という言葉通り、手長タコを唐辛子味噌とニンニクで炒め、混ぜ合わせた激辛料理のことを言います。しかし、釜山のナクチポックムは、名前こそ炒めるとついていますが、鍋で煮込む料理となっています。手長タコだけでなく、ホルモンやエビなどもピリ辛スープで煮込んだ釜山名物の鍋料理です。旨味と辛さが絶妙に融合したクセになる味わいです。
돼지국밥(デジクッパ)
豚骨スープに茹でた豚肉とごはんを加えた釜山のソウルフード。味付けは塩・エビ塩辛・ニラなどで調整可能。西面エリアの「浦項テジクッパ」は特に有名な老舗店です。
산낙지(サンナクチ)
산(サン)=生きた、낙지(ナクチ)=手長タコ、という言葉通り、「生きているタコ!」を生きたまま食べる料理です。コリコリしていますが、固すぎず食べやすかったです。
간장 게장(カンジャンケジャン)
게장(ケジャン)=ワタリガニを간장(カンジャン)=醤油のタレに浸けた海鮮料理です。辛い料理が苦手な人でも食べられるカンジャンケジャンは、日本人にも人気の韓国グルメです。とろけるような食感、カ二の甘さと醤油の風味が織り成す感動の味は、ご飯がとてもすすみます。そして、韓国料理の特徴ですが、おかずがハンパなく多いです。
こんな料理にマッコリが合いますよね!!
✍️ おわりに
釜山子城台倭城は、戦の遺構としてだけでなく、日朝の和平と交流の歴史も併せ持つ場所です。
その石垣に刻まれた歴史をたどったあとは、釜山ならではのグルメで心も体も温まる時間を。
釜山は日本の対馬とは約50kmの距離であり、身近な海外です。
歴史と食の両方を味わえる釜山の旅、次回の旅先にぜひ加えてみてください。