こんにちは

一宮市の耳鼻科、楓みみはなのどクリニックです

院長の城めぐりをご紹介します

今回も愛媛のお城シリーズの続きです

今回訪れた城は広島県福山市にある福山城です

1615年(慶長20年)の一国一城令発布後に竣工した珍しい城であり、これ以後は大規模な城郭は建築されていません

縄張りの形式は輪郭式平山城、天守の構成は複合式、天守は層塔型5重6階です

1619年(元和5)安芸・備後を治めた福島正則が改易され、水野勝成が大和郡山より備後10万石で入封しました

当初は備後神辺城(かんなべじょう)を居城とする予定でしたが、神辺城が内陸にあり過去に何度も落城した歴史があり、勝成の進言により、一国一城令が徹底されていたこの時期としては異例の新規築城が行われることとなりました

これは勝成が徳川家康の従兄弟であることと、当初は織田信長に仕え軍功を上げ、その後も徳川家臣として軍功を上げ、明智光秀の官名「日向守」を授かり、後に「鬼日向」と呼ばれるほど活躍したこと、福山の地が毛利氏など西日本の有力外様大名に対する抑え(西国の鎮衛)の場所になることが影響しているのではないかと思われます

築城の地は瀬戸内海との往来や西国街道との距離が考慮され深津郡野上村の常興寺山(常興寺)一帯が選定され、廃城となった神辺城や下賜された伏見城の遺材を多く用い建築されました

この時、伏見城から移築された建造物としては伏見櫓や月見櫓、御殿(伏見御殿)、御風呂屋(御湯殿)、鉄御門、追手御門、多聞櫓などがあります

1622年(元和8年)福山城が竣工、2重の付櫓が取り付く複合式の五重天守や三重櫓7基、二重櫓16基、総延長291間(約570メートル)の多聞櫓などを巡らせており、10万石の大名としては異例の規模の城だったそうです、また干潟であった南側は干拓されて城下町となり、この町を「福山と名づけたそうです

1698年(元禄11年)5代藩主勝岑の早世し、無嗣除封となり、福山藩は一時的に天領となりました

1700年(元禄13年)出羽国山形藩より松平忠雅が10万石で入封しましたが

1710年(宝永7年)忠雅が伊勢国桑名藩に移封し、阿部正邦が下野国宇都宮藩より10万石で入封し、以後明治維新まで阿部家10代の居城として存続しました

1873年(明治6年)廃城となり、多くの建造物が取り壊されました

1931年(昭和6年) 福山城天守が国宝保存法に基づき、当時の国宝(現行法の重要文化財)に指定されました

1933年(昭和8年)伏見櫓、筋鉄御門、御湯殿が国宝保存法に基づき国宝に指定されました

1945年(昭和20年)福山空襲により天守・御湯殿等が焼失しました

1950年(昭和25年)戦災をまぬがれた伏見櫓、筋鉄御門が文化財保護法に基づき重要文化財に指定されました

1964年(昭和39年)本丸・二の丸が国の史跡に指定されました

1966年(昭和41年)市制50周年事業として天守や月見櫓、御湯殿が復興再建されました

2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(71番)に選定されました

私は100名城めぐりも趣味ですので、到着後早速スタンプをゲットしました

2022年(令和4年)(2022年)「令和の大普請」が完成し、福山城400年博の開幕祭が行われました

 

旅行記を紹介します

空路松山空港に移動し、空港からはレンタカーで移動しました

前日の宇和島城、河後森城、大洲城めぐりの後、松山市内に宿泊し、松山城、湯築城、今治城、能島城めぐりの後、しまなみ海道を渡り広島県福山市に移動しました

駐車場が隣の広島県立歴史博物館にあり、そこより歩いて進んでいきます

緩やかな坂道を進んでいくと、天守閣がお目見えします

この門より入城すると、本丸広場に到着します

複合式の再建天守がお目見えします、2年前に大改修されただけあって、とても美しかったです

北面の砲撃への対策とされる黒鉄板も再現されています

天守閣内は資料館となっており、鯱や甲冑や刀、古文書などが展示されており、城の歴史について学ぶことができます

こんな撮影スポットも用意されていました

5階からは、福山の市街地を望むことができます、目の前にはJR福山駅と新幹線を見ることもできます

その後本丸広場に戻り、櫓などを見に行きました

鐘櫓です、一部現存のものですが、どこまでが本来の構造か正確に分からないそうです

伏見櫓(重要文化財)です、現存建造物で、慶長初期の建築様式を残した望楼型の櫓です

当時は京都の伏見城から移築され、武具庫として使用されていたそうで、内部には敵の侵入を阻む防御システムが完備されていたそうです

本丸御殿跡です、往時の御殿の広さがイメージできました

月見櫓です、1966年(昭和41年)に天守と共に再建されたものです、当時は京都の伏見城から移築され、藩主などが到着することを見極めていた場所だったそうです

最後は帰りの福山駅新幹線ホームから見た福山城の全容です、ここから見るとお城の広大さが分かりやすいです

今回の旅は、第1回に訪問した伊賀上野城を築いた藤堂高虎の築城の歴史を学んだり、ハラハラした登城をしたり、地元愛媛の名物まで頂くことができ、さらにはしまなみ海道を渡り福山城まで訪れることができ、有意義かつ大満足な城めぐりでした